ちょっと久しぶりに、PCT出願の各国移行用の英文明細書案作成の作業をしています。
PCT移行の場合、翻訳文はいわゆる「ミラートランスレーション」でないといけない、と言われます。ただ、「ミラートランスレーション」にするとしても、実際の翻訳文作成にあたってはいろいろと問題が生じますよね。
この翻訳文の取り扱いに関係する条文、審査基準を拾ってみました。
まず、PCTでは、翻訳文の提出に関して以下の条文があります。
第二十二条(指定官庁に対する国際出願の写し及び翻訳文の提出並びに手数料の支払)
(1) 出願人は、優先日から三十箇月を経過する時までに各指定官庁に対し、国際出願の写し(第二十条の送達が既にされている場合を除く。)及び所定の翻訳文を提出し並びに、該当する場合には、国内手数料を支払う。・・・
そして、翻訳文を提出しなかったときはどうなるかというと、
第二十四条(指定国における効果の喪失)
(1) 第十一条(3)に定める国際出願の効果は、次の場合には、(ii)にあっては次条の規定に従うことを条件として、指定国において、当該指定国における国内出願の取下げの効果と同一の効果をもつて消滅する。
・・・
(iii)出願人が第二十二条に規定する行為を該当する期間内にしなかつた場合
とあるように、出願取下げとなってしまいます。
そして、翻訳文の内容に関連して、PCTの第四十六条に次の規定があります。
第四十六条(国際出願の正確でない翻訳)
国際出願が正確に翻訳されなかつたため、当該国際出願に基づいて与えられた特許の範囲が原語の国際出願の範囲を超えることとなる場合には、当該締約国の権限のある当局は、それに応じて特許の範囲を遡及して限定することができるものとし、特許の範囲が原語の国際出願の範囲を超えることとなる限りにおいて特許が無効であることを宣言することができる。
「特許の範囲が原語の国際出願の範囲を超えることとなる限りにおいて特許が無効である」とあるのは、国際出願時の明細書等に翻訳前の言語で記載された事項の範囲を超えた部分については特許が無効になる、といったくらいの意味でしょうか。
日本の特許法では、以下のように、「明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項」が国際出願日における国際出願の明細書等に記載した事項の範囲内にないとき(いわゆる「原文新規事項」があるとき)は、拒絶理由、無効理由になります。
第四十九条(拒絶の査定)
審査官は、特許出願が次の各号のいずれかに該当するときは、その特許出願について拒絶をすべき旨の査定をしなければならない。
・・・
六 その特許出願が外国語書面出願である場合において、当該特許出願の願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項が外国語書面に記載した事項の範囲内にないとき。
第百二十三条(特許無効審判)
特許が次の各号のいずれかに該当するときは、その特許を無効にすることについて特許無効審判を請求することができる。
・・・
五 外国語書面出願に係る特許の願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項が外国語書面に記載した事項の範囲内にないとき。
第百八十四条の十八(拒絶理由等の特例)
外国語特許出願に係る拒絶の査定及び特許無効審判については、第四十九条第六号並びに 第百二十三条第一項第一号及び第五号中「外国語書面出願」とあるのは「第百八十四条の四第一項の外国語特許出願」と、第四十九条第六号及び 第百二十三条第一項第五号中「外国語書面」とあるのは「第百八十四条の四第一項の国際出願日における国際出願の明細書、請求の範囲又は図面」とする。
要するに、特許請求の範囲だけでなく明細書や図面に原文新規事項がある場合も特許自体が無効になってしまうので、PCTの規定ぶりよりも権利者側に厳しい規定のように思われます。
ちなみに米国特許法では、PCT移行の翻訳文に関連して、以下のような条文があります。
35 U.S.C. 375 Patent issued on international application: Effect.
...
(b) Where due to an incorrect translation the scope of a patent granted on an international application designating the United States, which was not originally filed in the English language, exceeds the scope of the international application in its original language, a court of competent jurisdiction may retroactively limit the scope of the patent, by declaring it unenforceable to the extent that it exceeds the scope of the international application in its original language.
特許された発明のうち、原文の範囲を超える部分については権利範囲が制限されるということで、PCT第四十六条の規定ぶりに、より近いと言えるかもしれません。
ということで、移行用翻訳文における「ミラートランスレーション」とはどうあるべきか?という疑問に対しては、原文新規事項が入らないように過不足無く翻訳する、というのが基本的な答えになるかと個人的には思います。
では、日本の審査基準では、翻訳文に関してどのように規定されているのでしょうか。審査基準にはまず、外国語書面出願の翻訳文に関して以下のように書かれています。なお、審査基準では、PCT外国語特許出願についても外国語書面出願と同様の取扱いがなされるとされています。
第36条の2第2項に規定する翻訳文としては、日本語として適正な逐語訳による翻訳文(外国語書面の語句を一対一に文脈に沿って適正な日本語に翻訳した翻訳文)を提出しなければならない。
ここで出てくる「逐語訳による翻訳文」という表現が、実務家を惑わす(?)原因の一つになっているようです。
しかし、実際には、原文新規事項の判断に関しては、「逐語訳」という表現から多くの人がイメージするものよりはだいぶ緩やかになっているようです。原文新規事項の具体的判断基準に関して、審査基準では以下のように規定されています。
(1)まず審査官は外国語書面の語句を一対一に文脈に沿って適正な日本語に翻訳した翻訳文を想定する(以下「仮想翻訳文」という。)。①その仮想翻訳文に記載されていると認められる事項、及び、②その仮想翻訳文の記載から自明な事項に限り、外国語書面に記載した事項の範囲内のものとして取り扱う。
(2)外国語書面と明細書等の対応関係が不明りょうとならず、しかも、外国語書面を逐語訳しないほうがむしろ技術内容が正確に把握できる場合に限り、明細書等は1.4(3)で示した逐語訳によらずに記載することができる。ただし、この場合においても、当該明細書等は外国語書面に記載した事項の範囲内のもの、すなわち(1)おける①又は②の要件を満たすものでなければならない。
(3)また、外国語書面の文章等の順番を入れ替えて翻訳した場合も、それにより外国語書面に記載されていない事項が明細書等に記載されたものとならない限り、原文新規事項とはならない。
したがって、外国語書面中のいずれかの個所に記載がある事項であれば、その事項は原文新規事項とはならない。
(4)外国語書面の一部が翻訳されなかった場合は、通常の日本語出願の補正において記載事項が削除された場合に新規事項追加とならないことが多いのと同様に、原文新規事項とならないことが多い。しかし、翻訳されなかった部分の内容によっては、原文新規事項となることがある点に留意が必要である。
大まかに言ってしまえば、原文から自明な事項の範囲内で翻訳すればよく、文章等の記載の順序を適宜変更してもよいので、技術内容が正確に把握できるようなものにしてください、といった感じでしょうか。
もっとも、自明な事項の範囲内かどうかの判断は、実際のところ難しい場合が少なくないわけですが、そこを適切に判断して自然な翻訳文に仕上げるというのが、翻訳者や、翻訳チェックをする者の腕の見せどころなのだと思います。そこには、語学力、文章力はもちろん、技術的な知識、理解力も求められるでしょうね。
(H.O)
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